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日本茶の歴史

日本茶の歴史は、記録と伝承が混ざりやすい分野です。ここでは年が文献や公的な認定で確かめられるものと、伝承として語られてきたものを分けて示します。どちらも面白い話ですが、確度は違います。

木の棚に葦簾を架けた本簾の覆下茶園。覆いの下に自然仕立ての茶樹が並ぶGenerated
本簾(ほんず)の覆下茶園。葦簾を棚に架け、その下で茶を育てます。室町期の宇治で確立したとされる方法が、玉露や碾茶につながりました。
  1. 奈良〜平安

    薬としての茶年代の根拠:伝承

    遣唐使が茶を持ち帰ったとされ、僧侶や貴族のあいだで薬として飲まれたと伝えられています。当時の茶は現在の煎茶とはまったく別の、固めて乾かしたものを削って煮出す形だったと考えられています。この時期の記録は少なく、広まりの程度は分かっていません。

  2. 1211年

    『喫茶養生記』年代の根拠:文献・公的認定

    臨済宗の栄西が『喫茶養生記』を著しました。茶の効能と作り方を説いた書で、日本で茶を主題にした最初期の文献にあたります。栄西が宋から茶の種を持ち帰ったという話も広く語られますが、こちらは伝承として扱われることが多く、本書の成立年ほど確かではありません。

  3. 室町〜安土桃山

    宇治と覆下栽培年代の根拠:伝承

    宇治で覆いをかけて育てる方法が確立したとされ、これが後の玉露や碾茶につながります。茶の湯が武家や町衆に広がり、茶が飲みものであると同時に作法と場をともなう文化になったのもこの時期です。覆下栽培の起源そのものは記録が乏しく、始まった年を特定できません。

  4. 1738年

    青製煎茶製法年代の根拠:文献・公的認定

    宇治田原の永谷宗円が、新芽を蒸し、焙炉の上で手で揉んで乾かす製法を編み出しました。青製煎茶製法と呼ばれ、今日の煎茶の原型にあたります。それまでの茶は褐色に近いものが主でしたが、この方法で緑の水色と若い香りが得られるようになりました。宇治田原町が日本緑茶発祥の地と呼ばれるのは、これによります。

  5. 1835年頃

    玉露の登場年代の根拠:伝承

    山本嘉兵衛(六代)が宇治郷小倉で玉露を作ったとされます。天保6年のこととして伝えられていますが、玉露の成立には諸説があり、一人の発明に帰せられるものかどうかも定まっていません。覆下栽培の茶を煎茶と同じように仕上げる流れがこの頃に形になった、という説明がよく見られます。

  6. 明治期(1868〜1912年)

    輸出品としての緑茶年代の根拠:文献・公的認定

    開港後、緑茶は生糸と並ぶ主要な輸出品になりました。輸出向けに大量の茶が作られ、静岡をはじめ各地で茶園が大きく広がります。葉だけを使うため茎が大量に余り、それを焙じたものが加賀棒茶の始まりと伝えられているのも、この時期の産業構造によります。やがて機械製茶が普及し、手揉みは技術として保存される側に回りました。

  7. 2015年・2026年

    文化財と地理的表示年代の根拠:文献・公的認定

    2015年4月24日、「日本茶800年の歴史散歩〜京都・山城〜」が文化庁の日本遺産に認定されました。山城12市町村の28史跡に、宇治茶手もみ製茶技術と宇治茶まつりの3つの儀式を加えた計32件が構成資産です。制度の面ではその後も動きがあり、2015年に八女伝統本玉露が茶で最初の地理的表示に登録され、2026年7月には「日本茶」そのものが登録されました。

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